

この鉄道がよくも昭和52年まで持ちこたえられたものと感心します。非電化ナローでは日本で一番遅くまで生き延びていたのではないでしょうか。
最後は大雪のため尾小屋まで開通しないまま終わってしまいましたが、私にとっては雪と尾小屋鉄道は大いに関係があります。というのは尾小屋の先に大倉岳スキー場があってよく尾小屋鉄道に乗って滑りに行きました。しかし尾小屋駅からスキー場まで40分位歩くのにはまいってしまいました。
当時尾小屋町にはスキー客用の民宿もたくさんあり賑わっていましたが、その賑わいもあまり長くは続きませんでした。


DC121を先頭に列車編成も終えお客を待っています。
機関車も客車ももうだいぶガタがきていますが最後の踏ん張りで頑張っています。
ホームのはしには連結器のワッカが置いてあります。




日立鉱山から来た22号客車と、右はタボ1200です。どちらも車重が重く満足な活躍ができなかったそうです。
尾鉄通信さんからご指摘がありました。右の長物車はタボではなくダボと濁るそうです。ご指摘ありがとうございました。


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(本多勝哉氏提供)
キハ3+ホハフ3 昭和52年3月13日

この切符画像はパープル酋長様の提供です