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金沢から七尾までは七尾鉄道が明治31年に開通させ、ほどなく国鉄となり輪島まで開通したのは昭和10年。私が中学校の頃父は笠師保駅長だったので、休みになると七尾線に乗り遊びに行っていました。
当時は七尾までがC58、七尾から輪島まではC56が引っ張っていました。
北陸本線の列車を見慣れた目には、C56の引っ張る3両の客車列車はなんとも可愛く思えました。
当時国鉄能登線は鵜川まで開通しており2両編成の気動車が使われていました。笠師保駅で毎朝七尾から穴水まで客扱いしない気動車を見て一度乗ってみたいと思ったものでした。
また、北陸本線富山方面から来た上り列車の客車が1両だけ津幡から七尾線に乗り入れてもいました。この時の入れ換えは倶利伽羅越え用のE10が使われていました。
昭和51年 キハ2829
七尾線のスタートはこちらです。向かって左の0A番線と0B番線です。このレールの先で北陸鉄道浅野川線と連絡していました。
ホーム右は北陸本線の上り1番線です。
昭和42年10月 金沢機関区
この時代は北陸本線のEF70と七尾線用のC58が一緒になって入出庫を繰り返していました。この他にC11もいました。
羽咋駅
毎年2月の「フードピア金沢」のイベントにはC56がやってきました。懐かしい石炭の臭いが何とも言えず嬉しかったのを覚えています。七尾線の電化と共に姿を消してしまいました。
昭和60年9月
昭和59年に廃止になった七尾港線ですが、まだ線路は残っており、ヤードの広さから往時の盛況ぶりが偲ばれます。C56やC12が活躍していたのはつい最近のことのように思い出されるのですが。
七尾線が開通した当時はここが七尾駅終点でしたそうな。
昭和54年
北陸本線と七尾線の分岐駅です。昭和30年代初めの3年間ここの官舎に住んでいました。当時は富山方面から七尾線へ直通の客車扱いもやっており、倶利伽羅峠用補機のE10も活躍していました。そのための転車台もありました。その跡は今でもわかります。そして駅員は60人ほどいたでしょうか。その他信号所、鍛冶屋、保線区などもあり、賑やかな駅でした。
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管理人の津幡駅官舎時代の画像です。昭和31、2年頃です。

残雪の残る津幡駅
煙を吐いている蒸機はD50、上り貨物列車です。
官舎前から見たC57の牽く本線上り旅客列車(左)とC58の牽く七尾線上り旅客列車(右)。手前の建物は駅長官舎、その前の円筒は井戸です。上の蓋をずらして中を覗いて叱られました。
当時高松始発の朝の通勤列車もありC11が牽引していました。

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