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沿線に観光地があるわけでもなく、私にとってはまったく乗る必要のない路線でしたが、沿線にある高校に通う高校生が主なお客さんでした。私が小松に勤務するようになってからは俄然身近に感ずるようになりました。
そして金石線で見慣れたモハ3000型5両全部がここに集結して最後の活躍をしているのも嬉しいことでした。
昭和61年6月31日限りで我々の前から消えました。同時に各線を転々としてきたモハ3000型5両もここで遂に終焉を迎えました。

早春の鵜川鉄橋を渡る当線NO1美人のモハ3005進行方向は左です。運転士、車掌そして乗客1名の計3名が乗っています。
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昭和61年5月
終焉迫る小松線の起点です。沿線には高校があり朝夕はそれなりに混雑もし2両編成も走っていましたが、日中は閑散としていました。
小松駅の正面ですが国鉄線の地下道からでないと行けませんでした。
この写真は北陸本線上り列車内から撮ったものです。
昭和54年1月
しかし、この年は雪が少なくでっかいスノーブローを取り付けたモハ3001も手持ちぶさたです。
昭和56年3月
モハ3000型5両の内最も原形を保っていた3004です。妻板窓もHゴム化されていません。
昭和61年6月
小松線の中間駅で唯一交換が可能でした。近くには加賀八幡温泉がありましたが、電車に乗って温泉に行ったという話はあまり聞いたことがありませんでした。
モハ3001の下りと3002の上りです。朝のラッシュ時には2両編成での交換も見られました。全部で5両でしたから残りはたったの1両だけですね。
昭和54年4月
車内に立っている人影が見えますが、この駅で降りる乗客でしょうか。
駅長さんです
長靴姿が何とも言えない懐かしさを感じます。この時代はまだ地方のローカル私鉄の小さな駅の駅長さんも威厳がありましたね。
誇りを持って仕事をしているぞという雰囲気が伝わってきます。
左の軒先が正面玄関でこちら側は裏側で田んぼや畑でした。つっかえ棒がなんとも不安感を駆り立てますね。
でも、無人駅ではないので何となく暖かさが感じられたものでした。冬は石炭ストーブが炊かれ薬缶のお湯が沸騰していました。畳の部屋もあって駅長さんは持ってきた昔ながらの弁当箱に入った愛妻弁当を食べておられました。その節は本当にお世話になりました。
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