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ちょっとくたびれていますが父が使っていた帽章と襟章です。
私は子供の頃、父が国鉄職員だったため、駅の官舎に住んでいました。毎日蒸気機関車の汽笛や動輪の音を聞き、貨物ホームや駅前広場を遊び場に育ちました。
その頃はまだ組合運動もなく駅員さんとも家族付き合いで国鉄一家そのものでした。
「日本国有鉄道」・・・私にとって懐かしくまた思い出がいっぱい詰まった玉手箱のようなものです。
平成8年10月13日 金沢運転所にて
北陸にC62が来たのはこれが初めてではないでしょうか。金沢運転所ではオハ12を1両連結して数百メートルを何回も往復しました。
さすがにでかいですね。C57やD51を見慣れたせいかホントにでかく迫力がありました。
この時は金沢駅から運転所まで入庫列車や出庫列車を利用した送迎列車が7往復運転されました。
運転所では洗車台がホーム代わりに使用されたので隙間が大きく係りの人は気を使っていました。
もうこんな経験はできないでしょうね。
昭和37年12月
北陸本線は旅客列車はC57、貨物列車はD51と相場は決まっていました。この日は寒い小雨混じりの天候でしたが、雨模様の日の蒸気機関車は大好きでした。
この機関車C5790は翌年新潟県の能生、親不知付近で土砂崩れに乗り上げ脱線転覆し海に押し出されその場で解体されてしまいました。
昭和38年9月 金沢駅西ヤード
この頃D51の1号機が金沢にいました。何でもトップナンバーを見ると気持ちがハッピーになりますね。
電化直後で架線がゴチャゴチャして蒸気機関車も窮屈そうでした。
C57 5 昭和38年4月 中橋陸橋下から
本務機が客車留置線から列車を引っぱり出しています。
昭和36年12月 金沢東ヤードにて 49638
昭和37年 金沢駅西ヤード 48654
C57の牽く北陸本線上り普通列車。もうすぐ金沢駅軽やかに走っています。この当時この辺は浅野田んぼといってザリガニやオタマジャクシなど採ったりして遊んだところです。
今の金沢運転所辺りです。昭和34年。

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